MARTH動画「私がいないという第三の立ち位置とは」

MARTH クォンタムヒーリングアカデミー MARTH

MARTH 『LASTRA Quantum Healing Academy Vo.16』

2020年6月9日

MARTH:
はい、それでは今日も、オープンなセッションの方からはじめます。
今日はリリが…。リリが興奮して…。
そういうシーンがお見せできてよかったです。
今日は恋人のリリが、金髪美女が来られていますので、楽しくやれます。
可愛い!

では、いろいろと今日もメッセージをいただいております。

Q:
世界中の人が、私(我)が良くなりたい。安全でいたいと切に願っています…。
しかし、反作用より、自我の拡大がより逆になってしまうということをMARTHさんは伝えられておられます。そのことについて、今日はとことんお話いただけないでしょうか。MARTHのWebサイトアカデミーの方からのご質問です。

はい。非常に深いご質問なんですが…。
まぁ、いつもお話はしているんですが、私が良くなる。私がうれしい。今だったら、リリがこう、来てくれて私がうれしい。または、リリが病気になったら、私が苦しい。

要は、私が苦しいか、私がうれしいか、私が良くなったか、私が悪くなったか。
ということが通常今人類の、この世界の状況ですよね。
で、人々がみな望むのは、私が良くなりたい。というのは、世界の人々の想いですよね。ところが昔から、賢者の人たちが私などいない。無我、自我の終焉。無私っていうんですかね。一元に帰す。一体である。ワンネス。というようなことを伝えていますね。はい。

そしてその伝えている人々のレベルは非常に高いです。で、非常にレベルの高い方たちは無我を人類に勧める。ということですね。
幸せになってもらいたい。ということだからだと思うんですね。

もうひとつ質問をいただいてるんですよ。
これ、似てるから持ってきたんですけど…。

Q:
無我を説いた世界中の賢者の方々は、古代から誰でもが民、または人々が真に幸せになることを説かれたとMARTHさんはお話されていました。そこをお伝え願えないでしょうか。というこのダブルの同じようなご質問なんですね。

自我が良くなることを勧めないんですね、賢者の人は。
自我が良くなった。勝った、すごくなった、偉くなった、まさった。
これはあの、宇宙から見ると、素粒子の海から見ると、一体ではないんですね。
部分が勝つ。部分が良くなる。逆に言えばそこから他を負かす。勝つ。やっつける。そのような分離の文明が生まれてくる。そうしますと最終的には今の世界のように闇となるというのかな。今の世界のように争いに満ちた世界になる。

まぁ、そういうことですね。じゃあ、私がいないっていうこの第三の立ち位置ですね。
私がダメだ。私は良くない。私はうまくいってない。私は…だから劣等ですね。
という気持ちを持つ。これも私です。
同じく私が、オレがやった!オレはすごいんだ。オレは偉いんだ。よし、あいつら敵だ!なんとかだ!
この私も同じ私です。
しかし、これが相対性とよく言われるものなんですね。
勝てば、負けがあるとかね。負けるというのは勝つこともあるっていう、この相対性なんですが、無我っていうのは相対性がないんですよ。

この宇宙が一体の神の夢であるという、古代の古文書に書いてあるような…。
この世界は一体の夢なんだと、神の。そうなると相対はないんです。全部神の夢なんで…。全部が素粒子の海なんで、一体なんですね。じゃあ私たちはその部分に過ぎないんですね。それは、手でいうと、親指だオレは!オレは人差し指だ!いや、手ですよ。いや、これは手です。いや、オレは親指だと思ってた。いや、手ですよ。
したら今度、身体の方が、いや、これはオレの身体だよ、手と呼んでるけどこれは私だ。
これはあの、天とか、万物とか、神とか、なんと呼んでも良いのですが、その方たちからすればですね。
お前などいないんだと、私なんだと。お前は私だと。
なのにお前が勝手に自分だと思って独立して、自分のことで喧嘩し、戦い、悩み、お前は自分のことで争って、お前は私なんだと。
神様に言わせたらですね。お前は私なんだと。お前がなにかになんかなれないんだと。
親指でもなければ、人差し指でもない。偉いものでも、偉くないものでも、すごいものでも、すごくないものでもない。
お前は私なのだと。私の部分として活躍してほしかったんだと。
私の部分。神、万物、天の一部として活躍してほしかった。そのために素晴らしい才能をお前に与えたのだと。
だから部分が、我が勝ったとか、負けたとか、ダメだとか、いいとか、良くなったとか、ありとあらゆるものをこえているということですね。ありとあらゆるものではないということ。要は私などいないということです…。

たとえばつらいこと。苦しいこと。いっぱいありますよね。
でも、そのことで怒り、憎しみ、ね。嫉妬したり、そういうような気持ちになったら苦しいし、自分が好きになれませんよね。
そういう悲しみ。そういう苦しみをこえて、私などいなかった。
ああ、私は神の一部、天の一部、万物の一部にすぎない。私などいなかった。これは観念だった。妄想だった。
ダメな私もいない。うまくいってない私もいない。良くない自分もいない。いい自分もいない。悪い自分もいない。神の一部にすぎない。神から与えられた。万物から与えられた、自分の才能を活かして、競争することなく、比較することもなく、ただ尽力しようと。

ああ、天なのか神様なのか、望むように生きれてますか。
というようなね、ことなんではないかなと、私はずっと想ってきました…。
で、あの…。ちょっといくつか書いてみたんですけどね。

私を良き人に、悪いものから良きものに置き換えようと、移動しようと専念する文化には…。
まぁこれ書いてみたことなんですが、無我性の入る余地がありませんと。
要は、私がダメだ〜って劣等してですよ。で、うまくいってないから良くなりたいんだ!私を良くするんだ!という文明があるとしたら。だから私がある文明ですね。自我の文明。
そして私が良くなりたい。勝ちたい。偉くなりたい。すごくなりたい。今は悪いけど、今に見てろよ!っていう文明には、その無我性。
私がいない。存在していなかった。万物の一部だった。っていう、そういう文化が入る余地がないと。そんなふうに想うんですね。

まぁ、私の、自己拡大というか自己高揚とか、そういうことを目指す文明だと、互いが競争したり、比較したり、ケンカしたり、争ったり、憎んだり、恨んだりっていう、あらゆるネガティブな原因になって、そして、争いが絶えない家庭。争いが絶えない会社。争いが絶えない世界、国になる。ってことはないでしょうか 。
だとしたら、私たちは平和はないし、未来はないし、いつの日か、力が大きくなったときに滅びてしまうと。
まぁそんなふうに想いました。
で、この、無我を説いた賢者の方々は、誰でもが民や人々が真に幸せになることを説かれたと思うのですが、MARTHさんはそういうことをよく言いますけど、それはどういうことですか。

っていうことなんですが、そういう美しき目の開いた人たちが古代から、自我が良くなることを説いてないんですね。
自我が勝つとか、すごくなるとか、偉くなるとか、王になるとか、人を支配するとか、すごくなるとか、そんなことを全然説いてないんです。彼らが全員揃って説いているのは、無我。自我の終焉。ノーマインド。彼らは、真に人類を幸せにしようと想う人たちはみなそれを説いてるんですね。それで分かるように、そこに一番いいことがあるんですね。
そこに一番いいものがある。で、そのことを人類がみな気づいてそっちへ向かえば、みんなが良くなる。みんなが幸せになる。

なんか、ダメな自分を良くできますよ〜!っていうのは、実は嘘であると。それをやればやるほど、反対側、相対性によって反対側が生まれる。まぁ、そのことをね、ちょっと書いてみたんですよ。自我を良くしようとする試みの逆説的デメリットの事例ってのをこう書いてみたんです。今日ちょっと理知的に。まぁ、インナーのところでないと言えないこともいろいろありますが、まぁ、ちょっとね。
もう一回言いますよ。自我を良くしようとする試みの逆説的デメリットの事例。
まぁたとえば、自我の野心、念望、期待のため、利用されやすい。
野心があるから利用されやすく、また、騙されやすく。
まぁ家畜化されやすいっていうね。まぁちょっと、ちょっとキツイ言い方で、申し訳ないんですけど。
野心が自分にあるから、自分が自己拡大したいから。ね。
そういう…あのあれですよね。でもそうなると、要は利用されるだけで、愛されるわけじゃないですね。これ、無我だったら愛される。
愛し、愛されるけど。

昔、あのアウシュヴィッツの映画見たときに、女の人が、私は建築家よ!建築できるのよ!って言った途端に打たれちゃったシーンがすごく衝撃的だったんですけど。
自分は価値がある。何か知ってる。地位がある。名誉があるっていったら、それは相手の人は愛してるから一緒に生きようとしてるんじゃないから、そんなのいらないよって打っちゃったんだと思うんですね。
なんかそういうこう、自分はこういうの持ってるぞ。すごいぞ。資格があるぞ。偉いんだぞ!っていうようなものを自己拡大をこう持っていると利用され、騙されやすいし、愛されない。ね。
まぁ、ね。家畜化、奴隷化されやすいと。
その分離感のために争いが絶えない家庭。会社。国。ね。
一体の万物の自ら、メッセージ(バチ)誠実さゆえの、自らを罰するというのが沢山起こってくる。気づけ、気づけ!
自分…分離が強いと、今度至福まで無い。
あと、戦争や戦いの世界が家庭を生んでしまう。子どもとの関係。ありとあらゆるものが争いとなってしまう。
同じ人同士出会う、トラブルが大きくなる。
自我でいる間、いつも不安や恐れが、恐れで生きなければならない。まぁたとえば、不安だなぁ。怖いな。
やられちゃうな。やっつけられちゃうな。負けちゃうな。ハッ!そうか、誰が?私。私って、そうだ私っていなかったんだ!

っていう無我の位置。第三の位置、私がダメなのと、不安で恐れなのと。私が良くなったのと、もうどちらでもない。


私がいなかった。あぁ、私いなかった。はぁ〜。私はいなかったんだ。万物しかないんだっていう気づきは、人を癒しますよね。


で、それ知らなかったら、どうでしょうか。そのまんまいるんですよね。だからもうなんとかして、戦ったり、やっつけたり、やられたり、もうすごいことになって、苦しくなりませんかね。で、万物や神の子であるために、そこから行為…自分で書いたから汚い字で読めなかったりして…。やっつけたり、防衛したり、争いの中に入っていってしまう。自らを罰してしまう。それゆえに、そんな自ら、自我の強い、エゴの強い自分を愛せない。嫌いになる。ゆえに世界中を嫌いになってしまう。そんなことはないですかね〜。ね。だから、第三の位置でいないと、これだけの苦しみ、ちょっと書いただけです。この始まる前にちょっと今書いただけでも、いっぱい思いつくんですよ。

で僕は、それを、そのことを気づいて、若い頃、私などいない。つらいこといっぱいあっても、そのときに外してしまうんですね。ああ、こんな苦しい。こんなつらい。こんな怖い。でも私が怖がってるだけだ。ああ、私などいなかったってこの第三の位置に外してしまうことで、こう、幸せが来るわけですね。
でね、これもうちょっと書いたんです、さっきね。今度、じゃぁ、逆に第三の位置で生きたら、どんなことになるのかっていうのも、知っておいた方がいいですよね。
それで、一体性、無我から生きる。私の非存在。その良さは何ですかというふうにちょっと考えてみたんですね。したら、自ら好きになる。自ら万物、神ゆえに、罰することがなくなる。自らを罰することがなくなる。我の劣等やうぬぼれがなくなる。至福が増える。安らぎが増える。愛しさが増える。同じような仲間が増えてゆく。
万物の至福が、空の美しさが還ってくる。そこから真の才能が花開く。
で、万物の至福が、その空が帰ってくるから、そこから生きる、行為するから、豊かになってくる。その至福から行為して、それゆえに真に繁栄する。真に成功する。トラブルに巻き込まれにくい。ちゃんと努力したり、ちゃんと働いて、借金もしなくなる。トラブルが減る。ありのままにリラックスできる。自分を責めたりしなくなる。自らに、また人にも責め立てられない。ありのままにリラックスできる。

いつで自我を外してしまえば、ああ、私などいなかった!というふうに、いつでも自我を外してしまえば、様々な自我のトラブルや苦しみから自由になる。脅されにくい。野心が無いからやるべきことがちゃんとできる。ね、脅されにくい。自らの嫉妬や妬み、恨み。恐怖心がなくなり、分離の葛藤の終焉により、心が楽になって幸せになる。
トラブルが自然とやんでくる。ね。第三の立ち位置。だから、目の開いた人たちはそれを、自分の側近たちに、周りの人たちに教えたんじゃないでしょうか。
伝えたんじゃないでしょうか。

良くならないことなんて教えてもしょうがないわけですよね。
自分の家族に。僕の父母はそのことを僕にひっぱたきながらも、要はしつけました。
もうはそういう自己拡大。人に勝つとか、良くなるとか、そういうことを考えるな!と。負けても、ダメになってもいいと。そういう野心を持つなというふうに僕は育てられました。それですごく外してしまうことで楽で、ああ、つらいことがあっても、ああつらいな!苦しいな、怖いな。誰が?私。私って?本当はいなかった。万物だった。いなかった。
ああ良かった。一体だった。ひとつだった。自分なんかいなかった。だから自分が偉くなりたいとか、すごくなりたいって野心を持ったときは消してしまう。なんにもなれないよ。元から神の一部だよ。元から万物の一部で、偉くもすごくも、ダメにもなれないんだって思える。こんな楽な立ち位置はないですよね。

そしたら人類は戦争したり、戦ったり、争ったりするでしょうか。プライドなんてなくなっちゃいますよね。自我がないということは、自我のプライドがないってことなんです。だからものすごく幸せで、ね。ポジティブとかネガティブとかそんなのもないんです。ポジティブな自分になる!ってならない。私いないので、ポジティブな私もいません。ネガティブな私も存在しない。そう思い込んでるだけです。

そしてその片側を目指したら、反対側が出ます。
だから、真に目覚めた人たちは、無我や一体を皆さんに伝えようとします。ひとつであること、一体であること。なにかになることや、すごくなることや、ポジティブになることを皆さんに言わないです。そしたら騙されやすくなるし、ちょさくされやすくなります。

私がいなかったら、私のいないお魚と我の強いお魚がいたと想像してみてください。そしたら、どっちが釣られてしまうのかっていう。いろんな餌考えますね。お金とか、地位とか名誉とかね。いろんなものを餌にしてつけてゆくと、またね、恐れも怖いものもいっぱいくっつけると、そこから必ずここの網に入ってくるぞーっていうと入ってきますね。


で、そこでこういう餌を釣ったら、必ず釣れるぞってね。
頭のいい賢者の魚は無我無心。私などいない。存在しない。ああ、怖いな〜。つらいな〜。やだな〜。あっ誰が?私。私って?あぁ本当はいなかった。釈迦が言ってた。OSHOが言ってた。クリシュナムルティが言ってた。ラマナが言ってた。
ありとあらゆる、みんな言ってた。私などいなかった。
はい、本当に偉い人たち。真に美しい人たち。真に素晴らしい賢者たちは、私などいないんだ。一体だと言っていた。

僕は若い時、そのようにいろんな方たちに指導を受けながら素晴らしいトレーナーにも出会い、そのように学んできました。で、そういう同じ職業の先輩からのちょっと…お会いしたことはない方からメッセージを頂いたので、ちょっと最後に読んでおきたいと思いますが

Q:
若き頃、30年も前、MARTHさんは啓発的セルフトランスフォーメーションの名トレーナー、リーダーでした。リーダーであられました。なんて、書いていただいて…。ありがとうございます。自我が喜んじゃいますね。私などいないとやらないとダメです。その頃私も、同じようなワークショップを営むトレーナーでした。MARTHさんがボードに人の絵を描いて、参加者の全員の名をその身体に書き込んで、みな一体なのだと叫んだ、というお話を聞きました。争いなどいらないと、そのとき叫んでいたという話を、まぁ私は別のセミナー会社だったんだけど…。

まぁこれ、20何歳のときですかね。
28歳ぐらいのときの、私のことを聞いていただいて、本当にお恥ずかしいです。

今、世界に向け、MARTHさんは自らの気づきを無償で発信されているのを見て、胸熱くなり。世界を憂い、悲しむあなたを切なく、助太刀したいと年甲斐もなく感じてしまうこの頃です。

すいません。本当に…。申し訳ないです。

そして、質問です。
Q:
今、世界の混乱をあなたは人為的と見ておられますか。それとも神的と感じておられるのか、それが私の質問です。と。
はい。もう大変高いご質問をしていただいて…。

まぁ、先輩と同じように神的なものと思います。人為的な動きがあるのも、神的な動きです。あらゆる人たちが内なる神的動き、神の動き、内なる神によって動かされ、自らを罰したり、世の中を変えて、戻そうとされているというふうに捉えています。まぁ、そんなことで世界が新たに変わる。新しく変わる。美しい、どんなふうに変わるのか。

第三の立ち位置、無我の立ち位置の世界に、世界が向かうと。そのために人々は今、大きな試練をこえようとしていると。
そのように感じてなりません…。

まぁ、今日はそんなことで…。
このあと、インナーのセッションを続けますが、リリがどっか行ってしまいました。
リリ!おいで!最後だよ!ご挨拶して。終わり。おいで。
なんか寝てらっしゃいますね。こっちおいで。おいで。ご挨拶する?しない?
みんなが待ってるよ。リリちゃんに会いたい!って。おいで。眠いか。
あはは、眠いそうです。すいません。それじゃ、あの、また…。
あっ!来た!リリ!あら!リリが来たぞ〜。あぁ〜来た来た来た!
はい!来てくれた!あ〜。みんなにご挨拶して。ほら。あそこ。みんなにご挨拶して。
はい、リリでした!
それではどうもありがとうございました、またお会いしましょう。

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